「あの日が出発点」
指失った右手が宝自助具の発明は尽きず
加藤源重(げんじゅう)さん(68)福祉工房あいち代表

  「しまった!」と思った。強いしびれが襲ったが、 不思議に痛みはなかった。頭をよぎったのはこれから先のことだった。

 91年3月29日、愛知県岡崎市の繊維工場で機械に右手を挟み指5本を失った。 56歳だった。

  当直の医師は化膿(かのう)を理由に手首からの切断を勧めた。 でも、手のひらと親指の付け根が残る、おぼろげな感覚があった。

 「手首だけは残して」と訴えた。旋盤・溶接稼業40年の思いが言わせたのだろう。 外来を担当している専門医が午後3時にあく。それまで我慢出来るか、 と婦長に言われた。激痛がはしる。まだ、6時間ある。 病室のドアがノックされるたびに「先生だ」と思った。1分が1日のように感じた。

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 「この6時間の結果が、いまの私なんです」

 障害者の自助具の発明で受賞した70枚以上の表彰状や盾が飾られたプレハブの仕事場で、 小柄な職人はつぶやいた。 愛知県額田町、新緑の山間にある「福祉工房あいち」は00年に生まれた。 24人のボランティアがいま、自助具の開発、製作に熱を入れる。鉄を削る音に、 ウグイスの声がかぶさる。

 手術の結果、手首と親指の付け根は残った。くよくよしても始まらない。 何とかこの部分を生かし、右手ではしを持って大好きな刺し身を食べたい。

 技術屋だから図面は描ける。義肢メーカーに相談した。 返事は「理屈に合わない」「作ったことがない」。4カ所を回った。こたえは同じだった。

 他人を当てにするから腹が立つ。「当ては自分だ」と居直った。 退院から2年後、まず作業用ホルダーをつくった。 手首にはめて工具を取り付け、次は念願のはし作りだ。深夜、 アイデアがひらめく。朝が待てない。

 試行錯誤の3カ月でついに、ホルダーにぴったり合うはしができた。 豆腐をくずさずにつかめた。つらかった思いと喜びが同時にこみ上げ、 涙でくしゃくしゃになった。スパゲティ巻き取りフォーク、片手で干せる洗濯ばさみ、 バリアフリーの車いす……。発明は尽きない。

 マスコミに紹介された。悩みを抱える人たちから要望が殺到した。 注文をまかない切れず、自宅の庭に工房を作った。

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 4月中旬、自転車と縄跳びが夢だという、 左手が不自由な男の子のホルダーと4種類の器具が完成した。 5歳の子は失敗を繰り返して、ぴょんと跳んだ。熱い拍手が作業場に響いた。

 「私の右手は私の宝です」と繰り返す。「自分の不自由で、他人の不自由もわかった。 初めて人に優しくなれた」

(文・斎藤鑑三、写真・岩下毅)
2004/05/22 Asahi be on Saturday E-ntertainment
[メモ]
 福祉工房あいち 自助具は障害の程度や体形などにあわせた微妙な製品だ。 簡単なものは市販品もあるが、 ボランティアによるオーダーメードの福祉用具作りが全国各地で芽生えつつある。 福祉工房あいち(電話0564・82・4004)は、 材料費と光熱費、その1割の「協力金」で製作を請け負う。まず、 障害の程度や動きを、あらゆる角度からビデオなどに撮って郵送してもらう。 加藤さんを中心に検討したアイデアが実際になじむかどうか、 必要な場合は本人に来てもらって、調整や型どりをする。改良を加え、完成したら、 再度の訪問で微調整する。

update on May 30, 2004/h.Akiko